第2章 第4節

第2章 ソビエト学校における生徒の自治

 第4節 集団主義的な社会活動家

 ソビエト学校は、社会的本能を発達させるために全力を尽くさなければならないのであるが、そのためには、「子どもたちの社会的体験のわくをひろげ、学校をほんものの社会生活に近づけなくてはならない。」(注41)とされたのである。そこで、クルプスカヤは、ソビエト的なタイプの自治は、「本質においては、社会的作業の学校とでもいうべきもの」(注42)とも言っている。こうした学校においては、社会的本能の発達した社会活動家を育てることが、とりわけ重要な課題となるのである。しかも、集団主義的な社会活動家を。クルプスカヤはこのことを次のように言っている。

「ソビエト学校が生徒にあたえねばならない習熟のうちで重要な習熟は、社会活動家の習熟であるが、そのばあい、それは孤立的な社会活動家でなくて、集団主義的な社会活動家をさしている。」(注43)

(注41)クルプスカヤ「社会的教育」(1923年)『選集、1巻』66ページ

(注42)前掲書、「ピオネール運動の当面の課題によせて」103ページ

(注43)クルプスカヤ「学校の社会的に必要な作業という問題によせて」(1926年)『選集、1巻』109ページ

 しかし、いきなりに、直接的に、集団主義的な社会活動家を生み出すことを、学校が自らの課題とするわけではない。まず、学校自治は、「子どもの経験から、いわば、育ってくるようでなくてはならない。」のであり、「自治というよりはむしろ、この自治の形を集団的に探求していくこと」(注44)こそ出発点なのである。例えば、「あるものが他のものを侮辱した、他のものが興味のある仕事をやっているのにじゃまをする、 ─ そこで、おたがいにじゃますることを禁じる規則をつくらなくてはならない」(注45)といったぐあいである。クルプスカヤによれば、「一般に、自治は子どもの生活にできるだけ近いもの、子どもの興味から生まれてくるもの、でなくてはならない。」(注46)とされた。

(注44)前掲書、「論文『第一科学校の任務』から」61ページ

(注45・46)同61ページ

 また、自治集団の大きさにしても、「はじめは、あまり大きなものでないこと、はじめは生活が比較的小さな集団のなかでおこなわれていくことが大切」(注47)だと考えられていた。だから、学校での生活が、まずもって組織されねばならないとされた。その際、特に大切なのは、「自分たちの学校生活が、一定のわくのなかで、当然そうあるべきようにおこなわれていくようにするためには、自分たちは何をなすべきか、どのような作業をおこなうべきか、何を組織していくべきかを子どもたちがみんないっしょに審議するということ」(注48)であった。

(注47)前掲書、「第二科学校における社会的 ─ 政治的教育」93ページ

(注48)同93〜94ページ

 こうした段階を経た後に初めて、ソビエト学校の自治集団は、「集団のわくが順次にひろげられ、学校が自分の作業の中心を学校から学校外の社会的作業へと順次に移していく」(注49)という課題を、現実のものとすることができるのである。

(注49)同93ページ

 この新しい段階、すなわち、社会的作業が現実の課題となる段階では、何よりもまず、「社会生活の諸現象にたいする深い関心」(注50)を生徒たちの中に呼び覚ますことが、第一義的な課題となるのである。言い換えれば、生徒たちの周囲でおこなわれていることにたいして、かれらの眼を開かせるということである。だがそれにとどまっていてはいけない、とクルプスカヤは考えていた。社会生活にたいする関心を、次には、「情緒の高まり」(注51)をもたらせる方向に、例えば、「道路に水溜りがあることが、子どもたちの心をおちつかせず、かれらの気がかりになる」(注52)というように、発展させることが大切だとされたのである。

(注50〜52)前掲書、「学校の社会的に必要な作業という問題によせて」110ページ

 最後に、この節を終えるに当たって、クルプスカヤの1926年の論稿「学校の社会的に必要な作業という問題によせて」から、集団主義的な社会活動家の育成を強調している次の部分を引用しておきたい。

「しかしながら、もしわれわれが、集団主義の精神での仕事を学校のなかに提起したということだけにとどまっているなら、然り、学校自治を集団主義の精神で浸透させることだけにとどまっているなら、たとえこれらの二つの課題はきわめて重要なものであるにせよ、誤りであるということになるであろう。われわれは子どもたちに、社会生活のあらゆる現象に、集団主義的社会活動家の観点から対処するとを、教えなくてはならないのである。」(注53)

(注53)同110ページ

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