第2章 第2節

第2章 ソビエト学校における生徒の自治

 第2節 学校自治としての総会

 クルプスカヤは、学校自治というものを、「子どもたちが総会に集まって、学校でしなくてはならない仕事、いろいろな領域の仕事 ─ 衛生部ではかくかくの仕事、学習係ではこれこれ、組織連絡の面ではしかじかなどといった仕事 ─ を審議すること」(注28)といったぐあいに理解していた。集団的作業を組織するということは、こうした理解のうえにたった学校自治の一つの大きな課題なのである。したがって、このことを言い換えるならば、集団的な作業は、学校自治の一つの大きな課題として、総会を主要な場として組織されていくのである。そこで、クルプスカヤの考えた、集団的作業が主にそこで組織される総会のあり方について考察することにしたい。

(注28)前掲書、「ピオネール運動の当面の課題によせて」105ページ

 まず、総会は、自治そのものが日常的なものでなくてはならないように、何か特別な場合にのみ開かれるようであってはならないのである。このことは、自治が訓育的な点で重要なのが、自治の形態をつくりだす過程そのものであることとも深く関連している。クルプスカヤは、自治は、「あらゆる側面をそなえた子どもたちの全生活を調整していかなければならない。」のであり、「学校で何かがなくなったとか、子どもたちのなかの誰かが大いたずらをしたとかいった特別なばあいにだけ、児童集会を召集するようなのは、教育者が大きなあやまりをおかしている」(注29)と述べている。

(注29)クルプスカヤ「論文『第一科学校の任務』から」(1922年)『選集、1巻』61ページ

 次に、総会は、生徒たちの中に集団の意見を作り上げ、共同で作業を計画してそれを見積もり、発生する困難を共同で解決する能力を育成しなければならないのである。また、総会は、やりとおす必要のある作業の見積もりに基づいて、生徒たちを集団の一定数に分けて、作業をすべての子どもたちの間に割り当てなくてはならない。そして、各集団は自分の内部で作業を割り当て、やりとげた作業を考慮し、総会にその作業についての報告を出すのである。

 この総会と総会の間を日常的に継ぐ制度として代議制が考えられている。作業を分担した各セクションは、全作業を統一していく総集団に一定の代表者を送る。この場合、この代議制が純粋に形式的なものではないこと、それが実際上、代議制であることが重要である。そのためには、代表者は、実際に自分の作業を理解しており、全集団の前でそれを説明することができ、自分たちの作業を他のセクションの作業とどのように結びつけるべきかを理解していることが大切なのである。

 ところで、クルプスカヤは、総会の最も重要な要因の一つとして、「見積もる」ということをあげている。彼女は、農村青年学校の生徒会議で報告を行った際、生徒たちの話を聞いて、帝政ロシアの中学校のことを思い出しながら、次のように言っている。

「ここで、こんにち話をしたみなさんは『見積』ということばをよく使いました。 ─ このことばは非常に大切です。見積をぬきにして、いったいどうして仕事ができるでしょうか? ところが古い時代には、ほかのあらゆることがいわれたものですが、見積ということは、だれも口にしませんでした。」(注30)

(注30)前掲書、「学校における集団的作業」121ページ

 また、別の機会には次のように言っている。

「最後に、ぜひとも必要なこと ─ それは作業の見積です。なにがやれるか、なにがやれないか、といったことのすべてを、いつも、見積っていかねばなりません。もし、なにかがやれないとすると、まさにそれがなぜやれないのかを、はっきり知ることが非常に大切です。」(注31)

(注31)クルプスカヤ「りっぱな社会活動家を育てよう」(1929年)『選集、1巻』148ページ

 クルプスカヤが、これほどまでに作業の見積ということを強調した背景の一つには、当時、土曜労働がしばしばぶちあたった困難があるであろう。彼女は、この困難について、次のような例を挙げている。 ─ いざ雪かきにとりかかろうとすると、シャベルがない、そのほかの必要な道具がないということで仕事ができない。また、薪の荷おろしにいくと、力の強い男子でもやるのに苦労するような、そんな仕事をむすめさんがとりかかる。たちまち、力がつきはてて、やっとこさ息をついている。あるいは、老人のだれかが丸太を引っぱりかかるが、これまた手にあまる……(注32)、といった具合であった。こうした土曜労働の困難を克服し、社会主義ロシアを建設していく上でも、見積という概念は重要だったのである。

(注32)同146ページ

 また、それのみならず、訓育的な側面からみても、見積は非常に重要な意味を持っている。それというのも、自分や集団の力量を思い量る力を育て、現実的で適切な手段によって結果を想定する力を育てるからである。

 さて、総会のあり方について付け加えるとすれば、総会は、文字通り、すべての子どもたちを集団的な作業に引き入れることを可能にする場であるということである。「総会はさらに、それが集団全体の所有物であることを生き生きと感じ取る機会を子どもたちに提供する、という意義をも持っている。」(注33)とクルプスカヤが指摘した時、そのことを可能にする根拠を示したのであろう。

(注33)前掲書、「第二科学校における社会的 ─ 政治的教育」99ページ

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