第1章 第1節

第1章 ブルジョア的学校自治の批判

 第1節 アメリカの学校における生徒の自治

 クルプスカヤは、学校教育への自治の導入が、二十世紀初頭の世界の教育動向の一つの特徴になっていることに注目し、その際、しばしばアメリカの学校における生徒の自治に言及している。

 アメリカ合衆国では、1860年代の初めに展開したいわゆる南北戦争の結果、広範な農民へ土地が無償で分配され、この国の民主主義は一層の発展をとげることになった。(注1)このアメリカ社会の民主主義の進展は、やがてアメリカの子どもたちの自治にも反映していった。また、クルプスカヤの指摘にもあるように、アメリカ合衆国では、子どもたちは、ごく小さな頃から、あらゆる種類のサークルやクラブを絶えず組織していた。アメリカが、こうした社会であったればこそ、クルプスカヤが言うように、「児童自治を生み出すことも、より容易であった。」(注2)のである。

(注1)1861年から1865年まで、合衆国の北部諸州と南部諸州との間で、南部諸州における黒人奴隷制一掃のための闘争が行われた。闘争は資本主義の一層の広範な発展のための土壌を清めるためであったが、自由のための闘争という旗印のもとに進められた。

(注2)クルプスカヤ「学校における児童自治」(1930年)『生徒の自治と集団主義』(矢川徳光訳、明治図書、クルプスカヤ選集第1巻)53ページ

 こうして、クルプスカヤの指摘にあるように、学校に自治を導入する試みは、このアメリカにおいて初めて行われることになるのである。それは、1897年のことであった。ニューヨークに、ウィルソン・ジルの創意で組織された学校共同体が出現したのである。クルプスカヤは、1911年の「学校自治について」という論稿の中で、このいきさつについて触れられている『アメリカの国民教育制度』(Wilhelm Müller)からその箇所を引用した後、この自治の導入の特徴的な点が、「学校規律の維持に生徒たち自身を参加させたいという意欲が学校自治を導入する動機になった」(注3)ことにあると述べている。しかし、同時にクルプスカヤは、ジルが学校自治をつくりだす試みを進める際に、主として念頭に置いていたものが、「市民的義務の実行ということに向けて生徒たちを準備すること」(注4)であったと指摘することを忘れなかった。

(注3)クルプスカヤ「学校自治について」(1911年)『選集、1巻』26ページ

(注4)同27ページ

 ところで、クルプスカヤは、アメリカ人の自治観・子ども観について次のように評価している。

「アメリカ人たちは心の奥底まで民主主義者であって、自治は最大の幸福であると自分の全存在をあげて確信している。だからかれらは、子どもたちもまた自治の権利をもっていると、まったく自然に考えている。」(注5)

「アメリカでは、子どもの人格に対して大きな尊敬がはらわれており、子どもたちはたいへん自主的であって、子どもたち自身が学校の内規にかんする問題を審議し、決定することを、教師たちはごく自然なことと考えている。」(注6)

(注5)クルプスカヤ「学校自治について」(1915年)『選集、1巻』37ページ

(注6)同36ページ

 このアメリカ人の自治観・子ども観についてのクルプスカヤの高い評価は、ひとつには、アメリカの学校が、当時のヨーロッパ諸国やロシアの専制下の学校に比べ、はるかに民主的なものであったという事実によるものである。

 クルプスカヤは、アメリカとヨーロッパの学校の自治についての違いを端的に表現した際に、アメリカでは、「教師たちが学校自治を自由な市民を育成する手段とみている」(注7)と述べたのである。それでは、ヨーロッパの学校の自治については、クルプスカヤはどのように見ていたのであろうか。この課題を次の節にゆずることにしたい。

(注7)前掲書「学校自治について」(1911年)27ページ

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