子どもの笑顔に国境はない(12)

ベトナムの学校へ子どもたちに会いに行こう②

2003年に「青い空は」を紹介する 左端の方がハイン先生

2003年に「青い空は」を紹介する 左端の方がハイン先生

「青い空は」との再会

 2003年の12月に訪越した際、これまで交流のあったディエンビエン第二小学校だけでなく、中学校へも訪問したいと考え、越日友好協会タインホア支部を通して、同じタインホア市ディエンビエン区にあるディエンビエン中学校を紹介していただきました。

 ディエンビエン中学校でも、日本理解の授業をさせていただき、筆者は、日本の地理の話とともに、広島の原爆のことを話し、「青い空は」という歌を子どもたちと一緒に歌いました。歌詞は日本語のままで、ローマ字で表記しました。

 翌年の12月にもディエンビエン中学校を訪れました。その時は、全国的な統一テストの日と重なり、授業での交流はできませんでしたが、幾人かの子どもたちと過ごすことができました。子どもたちや先生方と記念写真をとってお別れする時刻になった時に、校庭から歌声が聞こえてきました。その歌声は、日本語で、ちょうど一年前に子どもたちと一緒に歌った「青い空は」だったのです。筆者たち訪問団は大変感動してしまいました。こんな遠い異国の地で、平和の歌「青い空は」をしかも日本語で聞こうとは。

日本語で「青い空は」を歌って歓迎してくれた子どもたち 左にはハイン先生の姿も 2004年

日本語で「青い空は」を歌って歓迎してくれた子どもたち 左にはハイン先生の姿も 2004年

 この時、筆者は、一年前に私が紹介した歌を一部の子どもたちが覚えていて、この時歌ってくれたと思っていました。しかし、本当はどうやらそうではなかったようなのです。

 最初、この歌を紹介した時、この中学校の音楽の先生に伴奏をお願いしました。子どもたちやこの先生にお渡ししたプリントは、楽譜付きでしたから、後からでも歌うことができました。筆者としては、この日本の平和の歌がベトナムの子どもたちの間にも広まればという想いがありました。そんな気持ちでこの歌を紹介したのですが、この音楽の先生に私の想いが伝わったようなのです。

 2005年の12月の訪問には筆者は参加しませんでしたが、参加した方から、中学校では「青い空は」の歌で歓迎してもらったと聞いていました。そして、2006年の12月に筆者が訪問したとき、教室に入ってみると、子どもたち全員が、手をたたいて拍子を取りながら、「青い空は」を歌ってくれたのでした。そして、どの学級に行っても、授業の初めか終わりに「青い空は」を歌って歓迎してくれるのでした。

ディエンビエン中学校の先生方と訪問団 2006年

ディエンビエン中学校の先生方と訪問団 2006年

 どうやらあの音楽の先生が、この「青い空は」の歌を、日越友好の歌として授業で広めてくださったようなのです。その先生は、Nguyễn Thị Hạnh(グエン・ティ・ハイン)とおっしゃる方でした。

 2007年の12月にディエンビエン中学校を訪問した時にも、やはり子どもたちが、授業の度に「青い空は」の歌を歌って歓迎してくれました。

授業のはじまりに手拍子で「青い空は」を歌う子どもたち 2007年

授業のはじまりに手拍子で「青い空は」を歌う子どもたち 2007年

 筆者は、三たびハイン先生にお会いできるものと楽しみにしていたのですが、出迎えの先生方の中に、ハイン先生の姿はありませんでした。所在をお聞きすると、組合の用事で遠くに行っているとのことで、転勤等をされたのではないと分かり、ほっとしました。ハイン先生とは、その日の夕食会でお会いすることができ、お礼を言うとともに、新しい歌「いぬふぐり」を紹介することができました。ハイン先生は、この中学校の労働組合のまとめ役で、その日の組合の大会に参加されていたそうです。

「原爆の子の像」の禎子さんとのベトナムでの出会い

 ベトナムの子どもたちは、日本の地名のいくつかを知っています。首都の東京は良く知っているようですが、その他意外にも良く知っているのが、大阪でも京都でもなくて、広島と長崎なのです。そして、広島と長崎が原爆の被害を受けた都市であることを良く知っているのです。

 それがなぜなのか、よく分からないでいたのですが、2007年の12月にディエンビエン第二小学校を訪問した時、そのわけが初めてよく分かりました。

 五年生の教室で、日本の地理の話をした時、広島について話すと、禎子さんのことで広島について勉強をしたというのです。そして、見せてもらったのが国語の教科書でした。折り鶴を折る禎子さんの絵と原爆の子の像の写真が載っていました。

5年生の国語の教科書の中の禎子さんの話 題を直訳すると「紙のたくさんの鶴」

5年生の国語の教科書の中の禎子さんの話 題を直訳すると「紙のたくさんの鶴」

 日本の子どもたちが原爆について知るのは、6年生の歴史の教科書の中の記述ぐらいです。ですから、6年生になるまでは、ほとんどの子どもたちが、原爆という言葉さえ聞いたことがないようです。筆者が子どもの頃は、自然と親から聞かされ、また8月6日の朝、テレビで平和祈念式の様子を見たものでしたが、今では、親が子どもに原爆について話さなくなっているようですし、8月6日の朝、テレビをつけて平和祈念式の様子を子どもに見せているわけでもないようです。

 更に、佐々木禎子さんのことについては、日本の子どもたちは、ほとんど知らないでいます。禎子さんの話が、原爆をテーマとした様々の文学作品と決定的に違うのは、この話が実話であり、禎子さんの級友たちが中心になって建立した原爆の子の像が、今も平和記念公園に建っているという点です。

 被爆国である日本の子どもたちが、原爆のことや禎子さんの実話をほとんど知らされないでいる中で、ベトナムの子どもたちが知っているということに、驚きもし、もどかしい気持ちにもなりました。

 ちなみに、ベトナムで使われている教科書は全国一つです。ですから、5年生以上の子どもたちは、みんなこの禎子さんの話を知っているということになります。

小中学校の教育設備

 2006年の8月にハイフォン市を訪れる機会があり、その時、新しく建設された小学校を見学させていただきました。

新しいハイフォン市内の小学校 3階建ての校舎が3棟あり、別棟で管理棟がある

新しいハイフォン市内の小学校 3階建ての校舎が3棟あり、別棟で管理棟がある

 校門をくぐると、右手に三階建ての別棟の管理棟があり、その一階の部屋で30歳の若い女性の校長先生にお会いしました。

 途中まではこの校長先生の案内で校舎を見学しました。校舎は三階建てで、三棟ありました。各学年6学級、35人位の学級で、教室には二人掛けの児童机と天井には扇風機がありました。

 調理室とランチルームが一階と二階にあり、ランチルームにはテーブルと椅子がありましたが、隅の方に寄せられていました。これは、夏休み中だからというわけではなくて、毎回テーブルと椅子を片づけておくのだそうです。この日、一階のランチルームでは、そうしてできたスペースを使って、子どもたちが踊りの練習をしていました。

ランチルームの広いスペースを利用して踊りの練習をしていた

ランチルームの広いスペースを利用して踊りの練習をしていた

 音楽室にも子どもたちがいました。女性教師三人と男性教師一人がいて、歌のようではないのですが、発声の練習をしていました。

音楽室では発声練習をしていた

音楽室では発声練習をしていた

 日本の学校では考えられないことですが、昼寝室が各階にあり、二段式のベッドが備え付けられていました。

 その他の特別教室としては、コンピューター室と図書室、円卓会議室、団隊室(直訳)がありました。「団隊室」というのは、課外活動の少年団の部屋だと思われます。机の上にはチェスが置かれていました。

 ちなみに、調理員さんは5人、守衛さんは2人(24時間連続勤務、翌日交代)で、給食代は1日6000ドンから7000ドン(39円から46円)ぐらいということでした。

 この小学校の設備が、これからのベトナムの標準的な学校設備になるのではと思います。

 ディエンビエン第二小学校と比べてみると、やはりこの新しい学校の方が特別教室が充実していて、ディエンビエン第二小学校にはない音楽室や専用の昼寝室、実際に読書ができる図書室、そして団隊室がこの新しい学校にはありました。

 ところで、この新しい学校の設備を日本の小学校の設備と比べると、かなりの違いがあります。特別教室では、日本の小学校には必ずある理科室、家庭科室、調理室、図工室がありません。また、体育館やプールもありません。屋外の運動ができるスペースについては、日本のような運動場というようなものではなくて、少し広めの中庭のようなスペースがあります。

 以上が、ベトナムの小学校の教育設備の概要です。次は中学校の教育設備について紹介します。

 ディエンビエン中学校は、2006年に別の場所に移転して、新たに建てられた学校ですから、これから建てられる学校のひとつのモデルとして、この学校の設備について紹介しましょう。

 2007年の12月に訪問した時に、主に筆者たちが用意した授業に使わせていただいたのが音楽室でした。音楽室には教師用にカシオのキーボードがあり、柱にはダンバウ(一弦琴)などのベトナムの民族楽器が吊るしてありました。また、壁には楽譜や人物の写真などが吊るしてありましたが、日本のようにピアノやステレオや生徒用のオルガンはありませんでした。

訪問団による音楽室での授業

訪問団による音楽室での授業

 コンピューター室には、かなりたくさんのコンピューターがありました。ディエンビエン第二小学校にもたくさんのコンピューターがありますが、小中学校ともに、2003年に訪問した時から既にたくさんのコンピュータがありました。また、両校ともにコンピューターを指導する専任の先生がおられましたし、2006年に訪問した時に、教育訓練省(直訳は教育養成部)が編集したコンピューターの教科書があることを知りました。

中学校のコンピューター室(2003年) 左端の女性がコンピューターの先生

中学校のコンピューター室(2003年) 左端の女性がコンピューターの先生

コンピューターの教科書 ④には「楽譜を演奏しましょう」と書かれている

コンピューターの教科書 ④には「楽譜を演奏しましょう」と書かれている

 視聴覚室は、窓から部屋の中を見ただけで、部屋の一部しか見えませんでしたが、オーバーヘッドプロジェクタとスクリーンがありました。

 図書室には教科書がたくさん置かれています。これは、ディエンビエン第二小学校も同じでした。図書室の入り口にある表札には「図書館 ─ 本を読む部屋」と併記して書かれているのですが、部屋にはテーブルも椅子もありませんでしたから、この部屋で生徒たちが本を読んでいるのではなさそうです。2007年に訪問した時には、図書が少しずつ充実してきているように感じました。雑誌のような本も置かれていました。

図書室 雑誌も置かれていた(2007年)

図書室 雑誌も置かれていた(2007年)

 直訳で「物理実行室」(「物理実習室」と訳すのが良いのかもしれません)という部屋があります。教材室になっていて、化学・物理・生物・地学・電気などの理科の教材や、数学の教材などがありました。部屋の広さは普通教室と同じですから、部屋の中を整理して机と椅子を並べれば、「理科室」になりそうな部屋です。 

「物理実行室」 教材室のような使い方になっていた

「物理実行室」 教材室のような使い方になっていた

 この他には、子どもたちの学習に直接使われるわけではありませんが、保健室と事務室もありました。保健室は他の学校にもありましたが、事務室があるというのはこの中学校が初めてでした。事務室には、コンピューターとプリンター、それにリコーのコピー機がありました。このコピー機が事務専用なのか、教育用にも使われているのかは分かりませんでした。

事務室には、コンピューターとプリンター、それにリコーのコピー機がありました

事務室には、コンピューターとプリンター、それにリコーのコピー機がありました

 学校の教育設備の紹介の最後に、少数民族が住む山村の小学校を紹介しましょう。

 2003年の8月に、ハノイの西方にあるホアビン省のホアビンダムの近くの山村を訪れたことがあります。そこは大変な奥地で、ここに住む Mường 族の人々は、高床式の住居に住んでおられました。

 この山村にも小学校がありました。中学校は近くにはないとのことでしたから、この村では、義務教育でない中学校に通う子は少ないのかも知れません。小学校は平屋で、2教室ありました。

山の奥深くの小学校は2教室でしたが新築でした

山の奥深くの小学校は2教室でしたが新築でした

 教室の中を見せていただくと、がらんとした感じでした。訪問したのが8月でしたから、もちろん学校はお休みです。それに、ベトナムでは新学期は9月から始まるので、年度の変わり目ということになります。机と椅子は教室の後ろに片づけられていました。黒板はずいぶんと使い込んでいる感じがしました。

教室の様子

教室の様子

 この校舎の左側に昔ながらの赤茶けた瓦の載った平屋の建物がありました。説明によると、この建物が以前の校舎だそうです。今の校舎も古そうに見えるのですが、案外新しい建物だそうです。こんな山村に、前の校舎がまだあるのに、校舎を新築したことになります。これは少し驚きです。日本なら、いくつかの学校を統合して、この学校を廃校にしてしまいそうです。

 校舎の右横には、別棟で教師の宿舎がありました。教師2人分の宿舎でした。学校が休みなので、先生たちは帰られているとのことでした。

先生の宿舎

先生の宿舎

 以上、小中校の教育設備について見てきたわけですが、このことはベトナムの教育を理解する際に、とても有意義なことだと思います。

 次回は、小学校の理科の教科書を中心に、教育内容そのものを具体的に見てみたいと思います。

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